新潟県上越市の大地主・保阪(ほさか)家。
今回は、その保阪家の現在の主であり、12代当主を務める「保阪洋子(ほさか ようこ)」さんの経歴や学歴、現在の活動について詳しく調査してみました!
調べていくと、一般人の我々には想像もつかないような苦労も垣間見れました…!
保阪洋子さんについて気になる方は、ぜひチェックしてみてください!
保阪洋子(保阪家当主)の経歴・学歴wiki!

まずは、保阪洋子さんの基本的なプロフィールからご紹介します。
- 名前: 保阪 洋子(ほさか ようこ)
- 職業: 越後上越・保阪家 12代当主
- 年齢:60代半ば〜70代前半
- 現住居: 新潟県上越市戸野目(旧・頸城郡津有郷)にある「保阪邸・母屋」
- 主な活動: 歴史的建造物「保阪邸(怡顔亭)」の維持・管理、および春・秋の一般公開イベントの主催・運営
あくまで保阪洋子さんは、一般の方ではあるため、詳しい情報は出てきませんした。
ご年齢も推測になりますが、詳しい情報がわかり次第、随時追記していきたいと思います!
保阪洋子さんの学歴は?
一般の民間人(一般の方)として現在も豪邸に暮らしている洋子さん。そのため、詳細な出身大学や高校などの学歴は公式には公表されていません。
しかし、保阪家といえば、最盛期には全国トップクラスの多額納税者であり、洋子さんの祖母も新潟有数の大地主「市島家」から嫁いできたという、超名門のお嬢様・お坊ちゃまの家系です。
代々の当主は高い教養を身につけてきた歴史があるため、洋子さんも質の高い教育を受け、大切に育てられたことは間違いありません。
出身校が分かり次第、随時追記していきたいと思います!
保阪洋子(保阪家当主)の家族構成
保阪洋子さんの父や母、先祖は保阪家を代々守ってきた素晴らしい方々になります。
- 父親:保阪洋子さんの父親(11代当主)
- 母親:保阪ハル(旧姓:長崎)
- 伯父または叔父:保阪隣三郎(10代当主)
- 祖父:保阪潤治(9代当主)
- 祖母:保阪ミツ
- 曾祖父:保阪貞吉(8代当主)
曾祖父にあたる保阪貞吉さんは、明治〜大正期の多額納税者ランキングで全国7位の大富豪としても知られています。
そして、保阪洋子さん自身のご結婚やお子さんについてのですが、詳細は出てきませんでした。
保阪洋子の跡取り(後継者)は?
保阪洋子さんは、約4000坪もの広大な敷地や5棟の蔵を「ほぼ一人(ワンオペ状態)で管理している」ようです。
そこで気になるのが、「保阪家の次の跡取り(後継者)は誰なのか?」という問題ですよね。
お子さんがいらっしゃれば、その方が跡取りになる可能性は高いですが、現時点ではそういった13代目候補の方の情報はありません。
現代の日本において、歴史ある旧家や大地主の跡を継ぐには、以下のような非常に高いハードルが存在します。
- 想像を絶する維持費と固定資産税の負担
- 歴史的建造物を修繕できる特殊な職人の確保
- 膨大な古美術品や歴史的資料の管理・相続問題
これらを個人で引き受けるのは並大抵のことではありません。
保阪家が誇る重要文化財級のお宝やお屋敷が、今後どのように次の世代へ受け継がれていくのか、地域の歴史を守るという意味でも非常に注目が集まっています。
保阪家が大富豪へ上り詰めた「3つの歴史」
最盛期には200万坪もの土地を所有し、全国トップクラスの富豪だった保阪家。「なんでそこまで規格外の規模になれたの?」という裏側には、江戸時代から続く「攻めのビジネス戦略」がありました。
① 米問屋からスタート!酒造や金融で大成功(江戸時代)
江戸時代の中期に現在の新潟県上越市へ移住すると、まずは「米問屋(米穀商)」として頭角を現しました。
さらに「酒造業」や「金融業(今でいう銀行)」、宿場町の飲食店経営へと次々に事業を拡大し、莫大な富を築きます。
② 高田藩のピンチを救い「新田開発」で土地が爆増
江戸時代後期、財政難に苦しんでいた地元の「高田藩」に対し、保阪家は現代の価値で数十億円とも言われる巨額の資金を何度も融通して助けました。
この功績により、武士と同等の身分を与えられ、大規模な「新田開発」の権利を獲得。
自分たちでどんどん田んぼを増やしていった結果、全盛期の「200万坪(東京ドーム140個分)」という異次元の領地へと膨れ上がっていったのです。
③ 集めた小作料で「国宝級アート」の超一流コレクターへ
明治〜昭和にかけ、多くの小作人を抱える大地主となった保阪家。
9代当主の保阪潤治氏(洋子さんの祖父)は日本屈指の美術品コレクターとして活躍し、彼が集めたコレクションの中には、現在「国宝」や「重要文化財」に指定されているものが多数あります。
「上杉謙信の書状」など歴史の一級品がポロポロ出てきたのは、まさに歴史的な大財閥だったからなのです。
保阪洋子(保阪家当主)の現在の活動
こんな大地主のもとに生まれたら、将来安泰だな~なんて呑気に羨ましがっていたのですが、調べれば調べるほど、保阪洋子さんが抱える大変さが見えてきました。
① 「200万坪」の土地を失った過去から、お屋敷を守る決意

実は、保阪家は戦後の農地改革の際、莫大な相続税を支払うために、敷地内にある格式高い建物「怡顔亭(いがんてい)」を一度手放さざるを得なくなったという苦渋の歴史があります(※その後、昭和57年頃に買い戻され復元)。
そんな激動の時代を乗り越えた11代当主であるお父様は、保阪洋子さんが幼い頃、先祖代々伝わる最高級のドイツ製の大鏡(婚礼道具)を何度も見せながら、このように語りかけていたそうです。
「この道具を、絶対に大事に後世に残してほしい」
土地や資産の大部分を失ってもなお、「先祖が大切にしてきた文化と誇りだけは絶やしてはならない」というお父様の強い想い。
保阪洋子さんが今もなお、膨大な庭の草むしりや掃除をこなし、バイタリティ溢れる姿でお屋敷を守り続けている原動力には、このお父様と交わした大切な約束が強く根底にあるからに違いありません。

相続税も固定資産税も維持費も想像もつかないぐらい高額なんだろうな…。
② 「タンスに眠るお宝」を未来へつなぐ


保阪洋子さんの経歴の中で最もドラマチックなのは、邸宅のタンスや蔵に眠っていた膨大な歴史的資料の価値を、現代に蘇らせたことです。
- 上杉謙信の書状
- 北条時宗の古文書
- 明治時代の数寄屋造り
- 京風の回遊式庭園
など、代々続く大地主だからこそ所持している教科書に載るレベルの超一級品のお宝をしっかりと保管し、建物そのものや庭園など、歴史研究や地域の発展のために広く公開・提供する役割を担っています。



公開しなければ勿体ない品々だからこそ、貴重なお宝に触れる機会を作ってくれてありがたい!
③ 「上越名家ネットワーク」で名家を協力維持活動
歴史ある建物ですが、広大な土地や建物の修繕など、維持するだけでも相当なお金が必要になるのが容易に想像できますね。
そんな中、保阪洋子さんはNPO法人「上越名家ネットワーク」の一員として、地域のボランティアや近隣住民の方々と協力しながら活動されています。
「上越名家ネットワーク」は、新潟県上越市にある同じような境遇の豪農・旧家である下記の4つのお屋敷が手を取り合って作ったNPO法人なんです。
- 瀧本邸
- 林富永邸
- 白田邸
- 保阪邸


そして、普段は洋子さんが実際に暮らしているプライベートな空間(通常非公開)ですが、毎年「春(5月)」と「秋(11月)」の年2回、2日間だけ「保阪邸」を一般公開し、自ら来客をもてなしています。
現時点での秋の公開日は発表されていませんが、例年11月最初の土日であることが多いので、
2026年11月7日(土)・8日(日)の2日間
になるのではないでしょうか?(^^)
気になる方は、ぜひチェックしてみてくださいね♪
保阪洋子(保阪家当主)の経歴まとめ
以上、「保阪洋子(保阪家当主)の経歴・学歴wiki!家族構成や総資産200万坪の一族を徹底調査!」と題して、保阪洋子さんについて詳しく調査させていただきました。
いかがでしたでしょうか?
歴史の荒波を乗り越え、上杉謙信ゆかりの驚くべきお宝や、明治時代から続く美しい数寄屋造りの邸宅を守り続ける12代当主・保阪洋子さん。
上品で温かみのあるお人柄からも、名門の気品が溢れ出ているように感じます。
新潟県上越市にある「保阪邸」は、一般公開の時期(春・秋)を狙えば、私たちもその圧倒的な歴史と美しい京風庭園を体験することができます。
気になる方はぜひチェックして、足を運んでみてはいかがでしょうか?








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